The Arena of Knowing 知ることについて
とっておきのお話をしたいと思います。それは、あなたが生きているということ。それこそとっておきのお話です。自分自身について話すことは、自分に気づき理解することについて話すということです。もし、自分はオーストラリア人であるとか、ニュージーランド人、イギリス人、スコットランド人、アイルランド人であるとか思うなら、自分が何者であるのかを忘れているということになります。あなたは人間なのですから。
究極の状態に達したのヒーローの話をよく聞きます。でもあなたも究極の状態にに達していると言ったらどう思いますか?あなたは生きています。それこそが究極の状態です。それ以上のことはありません。生きていることこそ、究極の状態なんです。
人はアクション映画やドラマチックな映画を観に行きます。ポップコーンやキャンディ、飲み物を手にします。まるで儀式のように。計画どおり。軍隊でさえも、彼らのきっちりとした形式からいくつか学べるかもしれません。何がどれだけあればいいのか正確にわかっている。それから、席に座り、映画が始まります。現実と虚構の境界線が曖昧になってきます。ある人は泣き始めます。もし実際に撮影している所を見たら、笑ってしまうでしょう。なぜなら。そのシーンを撮るのに15回くらい同じことを繰り返しているのかもしれませんよ。
では、少しの間目の前に牝牛がいると信じてみましょう。モ〜と啼いている。別に悪いことではないでしょう。ところが、ミルクが必要となったときはどうでしょう。この牛から得られるミルクは、信じ込んだミルクだけです。本物ではありません。飲むことはできません。想像することはできます。飲むふりをすることもできます。でもそれで、渇きが癒されることはありません。すべてが信じこむことでしか成り立ちません。架空のお話にすぎないからです。
知るということに関して、そこに信じ込むという要素はありません。体験そのものだからです。私が話したいのはそこです。作り話ではありません。人間の内側深くには、ある切望が眠っています。それはあなたに渇きをもたらすと同時に、あなたを満たします。それは、内側にある渇きが癒される不思議な物語です。
めちゃくちゃ喉が渇いたことはないですか?そんなときの水は甘く感じます。他のものには目もくれず、水を飲み続ける。飲み終わって、ふ〜っと息をつくでしょう。
水って何でしょう?形のないものです。丸でも四角でもない。入れ物によって形を変えます。色もありません。地面から流れ出します。時として、信じられないような岩から流れ出しています。見た目で水を説明しようとすれば、うまくはいかないでしょう。いつも違うことを言うことになります。でも、その力たるやものすごいものです。何ものもそこに留まることはできません。山や岩でさえも。時を超えて、水は大地を削り続けます。同時に、水は柔らかく、優しいものでもあります。もっとも繊細な感覚をもたら
し、それでいて山をも破壊する。
水がなくなることで滅びた文明もあります。でも、水はその目的を理解しています。それは海からやってきました。大地を流れながら、その目的地をはっきりとわかっています。
その約束、海との関係を知っているんです。それが海とひとつになったとき、個性は消えます。かつての特徴といったものは消え去ります。また我が家に帰ってきたんです。
なぜこんな話をするのかって?何かの足しになるのでしょうか?ここから学べることがあるんです。あなたの生きている中にある情熱、欲求、願望について学べますよ。あなたの中には渇望があります。満たされるべき渇きがあるんです。でも、多くに人がそれに気がついていません。怖いんです。なぜかって?何が起きるかわからないからです。もし、この渇きに気づいたら、無気力になってしまうと思い込んでいるからです。無反応になってしまったり、仕事を投げ出してしまうかもしれないと思い込んでいるから。
この世界でやっていることは、やっていくしかありません。それはあなたの中の熱望とは何の関係もなりません。なぜなら、この社会では決してその熱望が満たされることはないからです。二つの別々のことだからです。
その渇きに耳を傾けてください。本当の安らぎを望まないでいられますか?安らぎにたいする、満足に対する情熱を理解してください。あなたは渇望し続けてきました。井戸にバケツを投げ入れて、バケツがいっぱいになったら引き上げてください。あなたは水を得るでしょう。そして水によって満たされるでしょう。

©The Prem Rawat Foundation
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